大川小学校津波訴訟を考える

今年、最も印象に残った事件を考える。

5年前の東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校児童の遺族が、市や学校を相手に起こした訴訟の判決が2016年10月28日に下った。仙台地裁は、学校側の過失責任を認めて、児童23人の遺族に総額約14億3千万円を支払うよう市と県に命じた。しかし、11月7日、被告側の市や県は、これを不服として仙台高裁に控訴し、原告側の遺族も控訴した。大川小学校をめぐる訴訟はこれからも続くことになる。

教職員に引率された大川小の児童たちが、高台を目指して集団で避難行動を開始したのは最初の大地震から51分後だった。その僅か1分後に大津波が子供たちを襲った。死者84人(児童74人教員10人)、生存者は児童4人、教職員は1人だけだった。これは「全滅」に近い。日本の学校災害史上、最大の惨事である。

津波で犠牲になった子どもの親たちは、最初は訴訟など起こすつもりはなかった。彼らは我が子が、どのような最後を迎えたのか知ろうとした。「何が起ったのか、真実を知りたい。そうしなければ子どもの魂は浮かばれない。」そう思うのは当然である。

ところが真相の解明は容易ではなかった。生存者から聞き取り調査した校長(彼は震災当日、年休を取っていた)や指導主事の報告書はずさんなものであり、聴取メモは廃棄されメールも消去されていた。報告書の中に多くの矛盾も見出された。遺族は思った。「調査書には多くの真実が隠蔽されている。学校、教育委員会、市長が互いにかばいあい責任のがれをしている。」

例えば、遺族の追及を前に、「避難をはじめて1分後に津波が来た」という事実を教育委員会が認めるのに、実に1年かかったのである。「裏山に逃げよう」という子どもの発言の存在も否定されてしまった。子どもたちは51分間、校庭に「拘束」されていたのだ。遺族の要求で設置された第3者委員会(2012.12~)の検証も失敗に終わり、2014年3月、不信感を強めた遺族は、遂に損害賠償訴訟に踏み切ったのである。大震災から3年後のことであった。

市、教育委員会はこう言いたいのだろう。「想定外の大災害だから仕方がないことであり、誰にも責任は無い。」これは原発事故の責任を誰も取らない「原子力村」と同じ構造である。事なかれ主義と無責任体制、当事者同士がかばい合う相互依存の構造。日本に無数に存在するこの構造自体を変えない限り、同様の悲劇はこれからも起る。仙台高裁でもこの事件を更に検証することになるが、市・県側の勝ち目は無いだろう。唯一の生存者A教諭は病気を理由に出廷を拒み続けている。彼には「教育者として」、「人間として」勇気を奮って事実を証言していただきたい。遺族にとって、この裁判は「責任者を糾弾する」ためではなく、「真実を知る」ことが目的なのだから。

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