故郷(ふるさと)を国歌にしよう

NHKBSで「プラシド・ドミンゴ コンサート(4月10日公演)」を放映していた。彼はこのコンサートのために次のようなメッセージを寄せた(一部)。

未曾有の大地震、そして原子力発電事故による影響、この大きな試練に日本の皆様が勇気をもって耐え、この困難を乗り越えようと努力されていることに深い敬意を表します。
私は音楽の持つ力を信じています。音楽を通じて人々の気持ちは寄り添い、音楽は人々の心を一つにします。音楽を届けることで少しでも力になることができればと日本に参ることにいたしました。・・・・・・・

そして、演奏会の最後に「故郷」を歌った。

1.兎追ひし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)

2.如何(いか)にいます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思ひ出(い)づる 故郷

3.志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は靑き 故郷
水は淸き 故郷

私はこの歌を聞くとなぜか涙があふれて来る。それは、決して大震災のことを思ってのことではなく、何十年も前からそうなのだ。「夢は今もめぐりて」あたりで、こみあげて来るもののために歌えなくなってしまうのだ。
ドミンゴが歌ったときもそうだった。NHKホールの聴衆の多くの人々も同様であったことが映像で見てとれた。皆、泣きながら歌っている。

この歌は日本人の心情を根底から揺り動かす力を持っている。この歌の世界にある共同体は崩壊しつつあるが、そのイメージは心の中に普遍的に存続し続ける。

「郷土を愛する心」は誰にでも存在する。自分の育った自然環境、町並み、川、家族、「おくになまり」でさえも愛するのは自然の感情である。これをパトリオティズムという。人為的、政治的なナショナリズムとは異なるものである。

私は、戦争が終わり大日本帝国が崩壊して、日本が民主主義国家として再出発した時、なぜ「君が代」を存続させたのか疑問を持って今日まで来た。多くの「君が代論争」も体験した。その度に思った。

「なぜあの時、新しく国歌を創造しなかったのか。」

「故郷」こそ、国歌にふさわしい。
私は今、若者がサッカーの試合の前に大声で「故郷」を歌うシーンを想像している。

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