6者協議と北朝鮮の核

13日、6者協議は合意に達し、北朝鮮の核施設が60日以内に稼動を停止すれば、重油5万トンのエネルギー支援、さらに、北朝鮮がすべての核施設を解体すれば、重油100万トンの支援をすることになった。

「お金をくれないとぐれちゃうぞ!」と叫ぶ放蕩息子に、仕方なく言うなりになる親の心境か。しかし、本当に約束は守られるのか?その疑いがわきあがる理由は、1994年の米朝「枠組み合意」である。

1993年から94年にかけて、金正日は核のカードを振り回し、世界最強の軍事大国アメリカを脅かして、カーター元大統領の斡旋でまんまと軽水炉二基と重油の支援を獲得したのである。核開発につながる黒鉛原子炉を廃棄すると約束して。いわゆる瀬戸際外交だ。

ところが2002年10月、米国務省は北朝鮮が核兵器用の高濃縮ウランを製造していることを認めたと発表した。これは小泉と金正日の平壌宣言の僅か1か月後のことであった。だまされたアメリカはすべての供給支援を停止した。

萩原遼著「金正日隠された戦争」のなかで、93年から94年の北朝鮮の国内事情を次のように分析して興味深い。

・金正日の父金日成は、当時重油を使った火力発電を目指し、その電力で化学肥料工場を操業させて、農業の再建を図っていた。農業優先、民生優先政策である。原子力発電は稼動するのに時間がかかりすぎると考えた。

・これに対し息子の金正日は軍事優先、原子力発電重視政策を進めた。原子力発電は核開発と表裏一体である。「米朝枠組み合意」で金正日はすっかり味をしめたのである。

・父と息子との間に路線の対立が起こった。これは権力闘争に発展した。

・1994年7月、父の金日成は韓国大統領金泳三と歴史的な南北首脳会談をする約束をとりつけた。南の支援のもとに北の農業と経済の建て直しをはかったのである。

・しかし会談直前の7月7日に金日成は急死した。この死因には疑問の点が多い。結局、息子の先軍政治を止める者はいなくなった。この後、北朝鮮では100万人を超える餓死者を出すことになる。この餓死者も意図的に作り出されたと著者は述べている。

自分の権力を維持するために手段を選ばないこの指導者のやりかたを歴史的に見るならば、問題解決へ一歩前進したにせよ、6者協議は成功した、とアメリカのように楽観的に考えることはできない。

最後に素朴な疑問。
 生徒指導の先生が、校内で喫煙した生徒に向かって、ヤニだらけの歯をみせながら、「おまえ、タバコは違反だ、すぐやめろ」と指導しても、説得力はまるでなし。
「俺も今日限りでタバコは止める。だから、おまえも止めろ、約束だぞ」となぜ言えぬのか?アメリカよ。

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