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zoom RSS 新日フィルの「カルミナ・ブラーナ」

<<   作成日時 : 2017/07/30 23:41   >>

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すみだトリフォニーホールを根拠地に活動している新日フィルが、「すみだサマーコンサート2017―わが街のオーケストラ」と題して企画したコンサートである。
「カルミナ・ブラーナ」をライブで聴くのは初めてである。曲の冒頭「おお、運命の女神よ」(O Foruna)は映画音楽やCMなどで多用されており、我が浦和レッズでも試合前の選手紹介で使用している。吹奏楽版(コーラスなし)は聴いたことがあるが、上手なバンドだったにも関わらず、曲の魅力が全く感じられなかった。
今回の私の目的は「“カルミナ・ブラーナ”の全容を知る」ということと、2016年9月に音楽監督に就任した上岡敏之氏の指揮を見るということである。9列目の真ん中に座る。シルバー割引で4000円は安い。
そんなわけで「カルミナ・ブラーナ」が目的だったのだが、私は前半の少年少女合唱で思わぬ感動を味わうことになった。
プログラム
T.アルヴォ・ベルト:子どもの頃からの歌―少年少女合唱とピアノのための
指揮:甲田潤
ピアノ:上岡敏之
合唱:すみだ少年少女合唱団

U.カール・オルフ:カルミナ・ブラーナ
指揮:上岡敏之
ソプラノ:安井陽子 テノール:絹川文仁 バリトン:青山貴
合唱:栗友会合唱団、すみだ少年少女合唱団
2017年7月29日(土)すみだトリフォニーホール 14時開演
感想
子どもの頃からの歌」を作曲したアルヴォ・ベルトは1935年エストニア生まれ。つまり彼が少年の頃「バルト三国併合」が起こったわけだ。ソ連では1960年代に「前衛音楽の旗手」とされが、1968年にそれまで学んだ全ての技法を破棄し、以後、切り詰められた最小限の音素材を用いて、静けさと神秘に充ちた独自の音楽を創造した。本曲は20代、30代頃に作った作品を集め、彼が80歳の時に発表したものである。(プログラムより)

合唱団は、「もう大人なんだもん」から「夏のワルツ」まで全15曲の作品を演奏したが、驚くべきことは全部暗譜で、しかも原曲のドイツ語で歌ったことである。少年少女独特の良く澄んだのびやかな声、ピッチが揃った美しい和声、歌への、ひたむきな姿勢など、これまでとは全く異なる質の感動を味わった。冒頭の「ぼくは保育園に通っている/もう小っちゃくないんだ/うちでは大きな机につく/もうひとりで座れるんだ」(もう大人なんだもん)で聴衆はたちまち子どもの時代に引き込まれ、「ほたるの歌」「かえるの歌」で自分を育んだ自然に想いを馳せる。「夏のワルツ」はとびきり美しい。上岡敏之のピアノは繊細でこの作品にふさわしい美しい音色と響きを持ち、子ども達の合唱に寄り添うような演奏だった。

カルミナ・ブラーナ」の感想を述べる前に、まず作曲者と作品の学習から始めたい。
1803年、南ドイツ・バイエルンのベネディクト派・ボイエルン修道院で約300編もの古い歌を集めた写本が発見された。これらの歌はラテン語、古イタリア語、中高ドイツ語、古フランス語で書かれており、おそらくこの修道院を訪れた学生や修道士たちによって11〜13世紀に作られたものと考えられた。そして1847年にその写本は『カルミナ・ブラーナ』(ボイエルンの歌)として出版された。

カール・オルフ(1895〜1982)は、この詩篇に熱中し、1937年、詩篇から全25曲構成の大カンタータ(世俗カンタータ)を作曲した。副題は「楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱のための世俗的歌曲」であった。初演はフランクフルト歌劇場で行われ絶賛され、オルフは一躍有名な作曲家の一人となった。
1937年と言えばナチスが政権を握って4年目のことで、翌年ヒトラーはオーストリア併合、更にはチェコに対しズデーテン地方を要求し、急速な拡大主義を進めることになる。また、国内ではナチスの文化統制としてミュンヘンで「退廃芸術展」が開催されたのも1937年である。「純粋ドイツ芸術」推進のため、美術や音楽の分野で多くの芸術家が「退廃的芸術」の刻印を押され、排撃された。
このような時代にあって、オルフがひたすら古代や中世の音楽や詩の研究を進める姿は、日本の同時代の保田與重郎や亀井勝一郎が「日本浪漫派」を形成し、万葉集などの古代文化の憧憬と伝統回帰を主張したことと妙に重なり合うのである。「カルミナ・ブラーナ」とファシズム。果たして両者は共鳴したのか否か?

演奏は、純粋な音楽として、そんな私の暗い疑問を吹き飛ばすような痛快なものだった。上岡敏之の指揮はしなやかで、論理的。大編成のオーケストラ・合唱団をよくコントロールして、ppからffまでのダイナミックで多彩な表現を提示した。例えば冒頭の「おお、運命の女神よ」では、ffの大合唱の後、音量を極端に抑えて「あなたはいつも大きくなったり小さくなったりしている」とつぶやくように歌い、繰り返しながら次第にテンポを上げて「さあ今すぐ間を置かず」で爆発的な演奏となる。演劇的な表現とでも言おうか。次の「運命の女神の仕打ちに」はバスとそれに続くテナーの合唱のテンポがとても速い。第1曲の興奮が冷めやらぬようだ。第1部「初めての春」での「見よ、心地よく」は活気に溢れ、躍動感に満ちた演奏だった。ティンパニの軽やかな打撃も楽しい。この日のティンパニ奏者はすばらしかった。この曲は普通、打楽器奏者が「わが世の春」と言わんばかりに叩きまくるのだが、指揮者の指示が相当入っているのだろう。最後まで軽やかで全体のバランスを考えた奏法だったように思う。
「草原にて」の「円舞曲」は、最初はゆるやかに始まり、突然ヴァイオリンが弦を掻き鳴らして速い舞踏となるのだが、この「かきならし」が物凄い。「ヴァイオリンが壊れないか?」と心配するほどだった。舞踏が本来持っている「原始的なバーバリズム」を表現したのだろうか?
第U部「酒場にて」は遥か海の向こうの大昔の酔っ払いに親近感が湧く。オーケストラも酔っているようだ。バリトンの青山貴はすばらしい。酔っ払いの怒りと自嘲と怖いもの無しの突進ぶりを巧みに歌った。テノール絹川文仁による「私はかつて湖に住んでいた」は最高音Dが必要だが、最初からファルセットで歌っていたのには不満を感じた。それに少々演技しすぎだ。黒こげになった白鳥のメッセージが(言葉はわからないが)こちらに響いて来なかった。
第V部「愛の宮廷」の前に少年少女合唱隊が真向かいのパイプオルガンのある通路に登場。
児童合唱はキューピッド役のようだが「欲望に捕らえられて/若者たちと若い娘たちは当然のように睦み合う」なんて歌わせるのだから、大胆である。まだある。「おお、おお、おお、俺はすっかり絶好調!/いまやあの娘への恋に完全に火が点いた」などとも歌わせている(22曲) 。
第19曲「もし少年が少女と小部屋に一緒にいたら」の男性合唱のアカペラは見事だった。後で歌詞を見たら、テーマの答えは「言葉にしてはいけない遊びが始まる」とある。想像通りだ。第23曲「この上なく素敵なあなた」では愛の成就がソプラノ安井陽子の独唱で歌われる。もう少し声に艶が欲しい。悦楽の締めくくりなのだから、と思う私は考え過ぎだろう。第U部ですっかり酔わされてしまったようだ。

エピローグに冒頭の「おお、運命の女神フォルトゥナ、世界の女帝よ」が再び歌われる。「春」⇒「舞踏」⇒「酒」⇒「愛」と進んで運命の車輪が1回転するわけだ。上岡敏之はここで最高のパフォーマンスを見せ、オーケストラと合唱団をグイグイと牽引し、打楽器もにぎやかに打ち鳴らされて大きく盛り上げ、指揮棒を振りおろした瞬間、「もう我慢ならぬ」とばかり聴衆から間髪をいれずブラボーの声が多数上がった。

「カルミナ・ブラーナ」は明快でシンプルで力強い魅力を持った曲だった。フレーズの反復や打楽器の絶え間ない打撃が魔術的に聞こえることも分かった。それはオルフの音楽技法上の選択だったにもかかわらず、「ファシズムの時代の民衆意識との共鳴はあったのではなかろうか?」と自分なりの結論を出してみた。

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